日本で生まれて日本で育った在日韓国人3世として、普段考えていること、面白いこと、興味を持っていること、みんなに知ってほしいなぁ~と思うことなどを交えながら、ブログを使って発信していきます。
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席を譲るのは、計算高いから。
自分で言うのもなんですが、私はどちらかというと、お年寄りや松葉杖をついている人や妊婦さん(ふくよかなだけの人との正しい見分け方、誰か教えて…)によく席を譲るほうです。

あ、別にほめてもらいたくてわざわざ書いてるワケじゃないッスよ。
なるべく席を譲るようにしている、それはなぜか。

もちろん、『電車の中で立ちっぱなしだとつらそうな人に手を差し伸べたい』というボランティア精神もあります。ただ、100%すべてがそうかというと、そうではありません。

カンタンに言うと、
自分がしんどい時に助けてもらいたいから、自分がしんどくないときに人を助けている
ってことなんです。

「風が吹けば桶屋がもうかる」の次元かもしれませんが、ちょっとした気遣いが、めぐりめぐって自分に返(帰)ってくるってこと、気づかないだけで実際は結構多いと思います。

ポイ捨てをしない
   ↓
税金を使って雇われている清掃員の仕事が減る
   ↓
税金の無駄遣いが減る


ゴミをキチンと分別する
   ↓
焼却炉の燃焼効率向上、埋立量の減少、リサイクル率向上
   ↓
税金の無駄遣い減少、処分場拡大計画の遅延、環境保全…

などなど。私にしてみれば「席を譲る」行為は、「風ピュー→桶屋ウハウハ」のパターンを狙ってのものです。

まず自分が、不自由をしている人に当然のように席を譲る。すると、『席を譲るのは当たり前のことなんだ』と感じる人が1人くらい現れる、かもしれない。そうすれば今度はその人がどこかできっと席を譲る。そしてまたそれを見たうちの1人が…
そんなこんなの連鎖反応で席を譲ること自体が自然なものになれば、自分がおじいちゃんになった時、怪我をした時、お腹に子どもがいる時(ヲイ 、きっと席を譲ってもらえるはず。

何年か前、膝をケガして松葉杖をついていたとき、山手線で池袋から品川までの30分間、席を譲ってもらえなかったことがあります(実話)。ただ、混雑する電車内で、出入口そばの手すりにしがみついている人に声がかけづらかったのかもしれません。
松葉杖が倒れないよう押さえつつ、ほぼ片足で手すりにつかまりつづけるのが、これほど体力を使うものなのか。当時はケガそのもので気分的に凹んでいたこともあり、辛かった記憶があります。
そんな思いは、できればあまりしたくないから…


優先席の向かい側にある一般席に座っていた、ある日のこと。白い杖をついた男性と、その連れ添いの女性が乗り込んできました。そしてどうやら女性のほうも、健常者と同等の視力をお持ちではないように見受けられました。
優先席に座っている人の腰が重そうだったので、サクッと席を譲りました。すると・・・
たいていの人が、気まずそうなしかめっ面をするか、より深い眠りにつく(笑 かのどちらか。
こういうとき人間ウォッチングすると、ウケる。みんな、後ろめたさを感じてるの、バレバレだよ。後ろめたいんなら、5回に1回くらいでいいから譲りなさいよ。

そして、次の駅で私が譲った人が降りると・・・だれも座ろうとしない。空席の前に立っている人が気まずそうにしている。結局その駅で乗り込んできた、「事情」を知らないおぢさんが座った。
大変けしからん表現ですが、その光景は滑稽そのもの。コメディーです。

人間が構成している「社会」のなかでは、自分という「個人」はあまりにもチッポケで非力な存在です。ただ、それを理由というかいいわけにして「社会への働きかけ」を放棄することは、私利私欲をむさぼろうとしている輩に「無言の同意」をしているのと同じです。
ほかの人とは発想・観点が異なるかもしれませんし、相当チッポケな行為かもしれませんが、私にとっては「席を譲る」行為そのものが、強者が暮らしやすいようにつくり上げられた世の中の、弱者も暮らしやすいような世の中にするための働きかけ、めぐりめぐって自分自身が快適な生活を送れるようになるための「社会への働きかけ」である、つもりです。
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コメント
この記事へのコメント
よく分かります。その考え。
最近の私は疲れているので、
座っていたいと思いますけれど、
見ていてつらそうなひとには
それでも譲ろうと思います。
周りの人を気遣える社会をつくりたいですね。
2006/08/21(月) 23:29:03 | URL | 瑞穂 #KgDo1ClA[ 編集]
そですね
お互いが気遣える社会になることが、より住みよい社会につながるでしょうね。
2006/09/04(月) 23:33:57 | URL | Ghiblo #GzvTJWb.[ 編集]
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